山田教授が建築の世界に進もうと決めたのは、高校生の時。それは家庭科の授業で住宅を作るという課題を与えられた際、「方眼紙に間取りを描いている時間が楽しかったから」という理由でした。しかし建築は建築でも、歴史の分野に進むと決めたのは大学の卒業間際だったと言います。「授業で京都の桂離宮のスライドを見た時に、なんて素敵な建物なんだろうと思いました。それまでは近代建築のデザインが好きだったのですが、すでに日本にこんなに素敵な建物があったのかと驚き、これを学ばずにデザインをやっても仕方がないと思い、建築の歴史の研究室に進みました」。
それ以来、20年にわたって建物の歴史を研究してきた山田教授は、今後の20年についてこう話します。「私がやりたいと考えているのは、歴史的建造物に不動産価値を付けることです。欧米では古い建物ほど価値がありますが、日本家屋の場合は逆で、不動産価値は建てた時が100%で、使えば使うほど目減りしていきます。長崎のまちを見ていると、どんどん町屋がなくなっていますよね。私はあと50年もすれば、長崎は魅力のないまちになってしまうのではないか…と危惧しています。そうならないために、ひとつひとつの町家を保存する方法もありますが、『町家を壊してマンションを建てるよりも、長い目で見ると、町屋を残す方が不動産価値はありますよ 』と言えるようになれば、みんな町家を残すようになると思うんです。日本にはマンションに住み、コンビニで買い物を済ませる人たちが急増しています。そうするとマンションとコンビニの間の風景に関心を寄せる人が減り、どのまちも同じような建物が建ち、風情は失われていきます。それを防ぐためにも、若い人にまちづくりへ関心を持ってもらうことがとても大切です」。
これから山田教授の研究室では外海地方(長崎市出津町)に赴任したフランス人宣教師のマルコ・マリー・ド・ロ神父が祖国から持ってきた道具についての調査を開始します。ド・ロ神父が建てた建物はすでに文化財の指定を受けていますが、ド・ロ神父がフランスから持ってきた農機具や建築道具などはこれから詳しく調査をするといいます。山田教授はド・ロ神父の道具は、1910年代に爆発的に売り上げを伸ばしたフランスのある通販会社などのものではないかという大胆な推測を立てています。「神父様の働きを支えたのがカタログショッピングだとしたら、面白いですよね」と、山田教授は茶目っ気たっぷりに笑います。3年をかけて行われるこの調査で、新たな歴史の事実が発見されるかもしれません。
世界遺産から農機具まで、山田教授の研究対象の幅広さには驚かされます。「私は人間が作ったものが好きなのだと思います。建物でも道具でも、どこかに作った人の工夫が見られます。長崎は建物を研究する上でとても魅力的な土地です。古い資料も随分と残っていますし、調べようと思ったら、まだまだ新しい発見があると思いますよ」。
山田教授の研究はまるで宝探しのようです。私たちが何気なく見ている風景の中には、まだ気付いていない宝物がたくさんあるのかもしれません。