3月14日(金)、早朝からの雨もすっかり止んで、穂のかに春を感じる天候の中、グリーンヒルキャンパス体育館において、本学大学院、工学部、人間環境学部、別科日本語研修課程の卒業式・修了式が行われた。
式は大学院博士課程の喜多宏司氏、関口啓貴氏の学位記授与が行われ、大学院修士課程の各専攻ごとに学位記を、工学部および、人間環境学部の各学科ごとに卒業証書を、別科日本語研修課程に修了証書をそれぞれの代表者へ林 一馬学長が手渡した。
林学長の式辞、林田侑子学生自治会委員長の祝辞の後、大学院生を代表して吉田大介君(電子情報学専攻)、学部生を代表して末永祥代さん(環境文化学科)、別科生を代表して李 晶晶さんがそれぞれ答辞で述べた。
その後、各種学会からの表彰者の紹介があり、代表者へ学科主任から表彰状と記念品が手渡された。
<<<<答辞より抜粋>>>>
「振り返ってみますと、学部より深い研究を求め大学院に入学して二年、高度な専門知識のみならず、社会に出る人間として必要な事を数多く学ぶことが出来ました。なかでも私は社会貢献活動の一環として、長崎水辺の映像祭における学生ボランティア活動を行い、そこでの本学におけるリーダーを務めてきました。その活動の中では様々な挫折や苦難、時には悩み立ち止まったこともありましたが、この長崎総合科学大学でしか出会うことができなかった先生方や、職員の方々、友人、後輩など多くの人達に支えられ乗り越えてくることができました。私はこの活動の中で、人と人との繋がりの大切さを改めて感じることができ、そしてここで出会った多くの人達との繋がりは、私の人生にとって、かけがえのない財産となりました。」(吉田大介君)
博士課程の喜多氏は66歳で学位記を取得した。
喜多氏は本学の長崎造船短期大学を卒業後、「株式会社新来島どっく」に43年間造船の技術設計に従事され、日本の造船の発展に尽力され、同社退職後、本学大学院工学研究科博士課程に入学され、造船所において考案し、実用化した設計・建造技術の43年間の蓄積の一部を論文にまとめ申請された。
3月7日の大学院教授会の最終審査で学位記授与について決定された。
※長崎新聞(2/25)、西日本新聞(3/14)、NHK(3/14)、
NBC長崎放送(3/17)の取材を受け、報道された。
式は大学院博士課程の喜多宏司氏、関口啓貴氏の学位記授与が行われ、大学院修士課程の各専攻ごとに学位記を、工学部および、人間環境学部の各学科ごとに卒業証書を、別科日本語研修課程に修了証書をそれぞれの代表者へ林 一馬学長が手渡した。
林学長の式辞、林田侑子学生自治会委員長の祝辞の後、大学院生を代表して吉田大介君(電子情報学専攻)、学部生を代表して末永祥代さん(環境文化学科)、別科生を代表して李 晶晶さんがそれぞれ答辞で述べた。
その後、各種学会からの表彰者の紹介があり、代表者へ学科主任から表彰状と記念品が手渡された。
<<<<答辞より抜粋>>>>
「振り返ってみますと、学部より深い研究を求め大学院に入学して二年、高度な専門知識のみならず、社会に出る人間として必要な事を数多く学ぶことが出来ました。なかでも私は社会貢献活動の一環として、長崎水辺の映像祭における学生ボランティア活動を行い、そこでの本学におけるリーダーを務めてきました。その活動の中では様々な挫折や苦難、時には悩み立ち止まったこともありましたが、この長崎総合科学大学でしか出会うことができなかった先生方や、職員の方々、友人、後輩など多くの人達に支えられ乗り越えてくることができました。私はこの活動の中で、人と人との繋がりの大切さを改めて感じることができ、そしてここで出会った多くの人達との繋がりは、私の人生にとって、かけがえのない財産となりました。」(吉田大介君)
博士課程の喜多氏は66歳で学位記を取得した。
喜多氏は本学の長崎造船短期大学を卒業後、「株式会社新来島どっく」に43年間造船の技術設計に従事され、日本の造船の発展に尽力され、同社退職後、本学大学院工学研究科博士課程に入学され、造船所において考案し、実用化した設計・建造技術の43年間の蓄積の一部を論文にまとめ申請された。
3月7日の大学院教授会の最終審査で学位記授与について決定された。
※長崎新聞(2/25)、西日本新聞(3/14)、NHK(3/14)、
NBC長崎放送(3/17)の取材を受け、報道された。