この度,機械工学コースでは,歴史作家・安部龍太郎氏による学生向けの講演会を,以下の通り開催しました。
演題:「夢をどうつかむか-高専から歴史作家へ」
注) 高専:高等専門学校の略.高等学校3年+大学(1,2年)の計5年間の一貫した高等教育機関
安部龍太郎氏プロフィール
1955年6月 福岡県八女市(旧・黒木町)生まれ。久留米工業高等専門学校 機械工学科卒。東京都大田区役所に就職、後に図書館司書を務める。その間に数々の新人賞に応募し『師直の恋』で佳作となる。1990年に発表した『血の日本史』でデビュー。この作品で注目を集め「隆慶一郎が最後に会いたがった男」という伝説がうまれた。作品に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『等伯』『家康』『宗麟の海』など多数。2018年7月『信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変』を上梓。
2005年 『天馬、翔ける』で第11回中山義秀文学賞を受賞。
2013年 『等伯』で第148回直木賞受賞。
2015年 福岡県文化賞受賞
2017年 福岡市文化賞受賞
講演会要約
私のかつての同級生であり、今はこの大学の教授となっている本田くんの役に立ちたいと思い、本日は参上した。
若い頃、坂口安吾の『堕落論』に救われた。安吾は言う。社会一般の常識に拘束されていては本当の自分を知ることなどできないと。こうして私の小説家への志はできた。
まずはと思い、役所勤めをした。プロになったのは8年後だ。それまで役所勤めを辞めるか否かと悩んだ。プロとして成り立つ確率は1万分の1。既に結婚もしていた。
インド旅行に旅立った。路上で多くの物乞いの子供たちに包囲された。激しい要求に応え、思わず彼らを追い払ったその時、私はハッとした。「所詮、私はこんな人間か」。それと同時に全身での理解が降ってきた。「人間はありのままで尊いのだ。善悪も、幸不幸もない」と。日本の偏狭な価値観に縛られている自分に気づいた瞬間だった。インドから帰国し、私は役所に辞表を提出した。
梵我一如、そして輪廻転生。インドの人々が信じる根本思想だ。諸君、自分の好きなことをしなさい。そしてその責任をとりなさい。
その後、私は長編小説に着手した。この作品が完成すれば一躍脚光を浴びる。そう思い10年を過ごした後、13の出版社を廻った。読んでくれたのは2社のみ。そしていずれも否定された。「文芸誌で新人賞を取りなさい」。そうアドバイスをもらった。
高専時代の友人に相談すると、君の作品は時代小説が面白いと言われた。雑誌に応募した。最終候補に残ったが落ちた。編集者から電話があった。「あなたの小説が面白かった、小説家として育てたい」と。
その後編集者から1年半ダメ出しが続いた。行き詰まり、旅に出た。自分の文章を読んだ。欠点が見えた。書き直し持っていくと、「これだ」と言われた。そうして『血の日本史』の連載を書くことになった。大好評を博した。仕事を辞めて以来1円の収入もなかった私が報酬を得た。以来30年間、作家の道を歩み続け、現在に至っている。
学校で習う歴史の内容には、現在となっては間違いと考えるべき点が多い。特に戦国時代は問題だ。戦国時代は大航海時代が我国に押し寄せた時代だ。つまり外圧によって、国のかたちが激動した時代だ。そのことが端的に分かりやすいのが、長崎という地だ。
【学生からの質問】
Q. 先生はエッセイの中で、自分の宝物は学校で学んだことと書かれていたが、他には?
A. 友人、学校で学んだこと、そして自分のへそ曲がりの性格が私の宝だ。
Q. 作家の道を進んでいなかったら?
A. 地元の企業に進み、地域社会に役立とうと思っていただろう。
Q. 『堕落論』を読んだ後に、作家以外の道に進んでいたとしたら?
A. 『堕落論』からは価値観の磁場に操られないことを学んだ。国家の教育にはそんな磁場がある。そのために考え方が偏狭になる。もし、自由をつき進めていたら、政治家になっていたかもしれない。
日時:2018年10月1日(月) 13:00-14:30 60分講演+30分学生との意見交換会
場所:本学3号館5F 大講義室
- 添付ファイル:長崎新聞2018年10月11日(.jpg)